まどマギと震災後コンテンツの方向性
「まどマギ」こと「魔法少女まどか☆マギカ」に関しては、「震災前」のコンテンツのある意味極北であり象徴だ、と思ってた。
エヴァンゲリオンで「ここにいてもいいんだ」とされてた割にどんどん希薄化し、探さないと見つからなくなってしまった「自分」すなわち視聴者当人の依代が登場しないこの作品は、そういう安全装置を二重三重にかましておかないと保つことのできない脆弱な自己しか持たない人を「癒す」(画面内でやってるのは凄惨な殺し合いなんだけど)ことを目的とした作品のように思われていた。
正直言うと、10話でほむらが時間を遡る、という流れを見たときには「あー、またオタの自我を守るための安全装置が発動したよ」と暗澹たる気持ちになった。
しかし、震災はそういう絶対安全な日常観ってのをあっさり破壊しにかかった。どんなに「俺だけ安全、俺だけいつも通り」ってj脳内ルールを作っても、地震で家が潰れたり津波が押し寄せてくればリアルに死ぬのだ。人生の意味なんか悠長に考えている余裕も与えられることなしに。
一部のコンテンツクリエイター(割と年食った人が多かったと思う)は比較的敏感にそういう変化を感じ取り、「今後漫画もアニメも、およそコンテンツと呼ばれるものは質的転換を迫られる」と言った。それに対する「自称多数派」の反論は「地震の前も後も、俺の生活は変わってない。『日常』は変わらずそこに存在する」ってもんだった。とりあえず、変わらないと信じたい人が割といる、ってことはわかった。そういう人にとって、「まどマギ」最終回は、本質的には大したことのないハプニングがもたらした日常のちょっとしたほころびを取り戻す儀式として待ち望まれていた、ってことも。
だから、その結末についてもあんまり期待はしてなかったのだ。恐らく、それまでの日常が崩れさり、その後よりテンションを低めた状態での新しい日常が始まる、って感じの話になるんじゃないかなーと思った。
しかしそれでもどっかひっかかるところがあった。仕事とは関係なしに4時まで起きてられるほど余裕のある生活はしてないので、放送はリアルでは見ず、ビデオしかけて寝てしまった。
翌朝、まずは適当なネット掲示板を見る。悪口がいっぱい書かれていた。その時なぜか「これは今までの悪い予想がひっくり返るかもしれん」と思った。ネタバレ情報を総合する限りにおいては、「魔女という原発を捨てて魔獣という火発に退行する話」のように思われた。しかしそういう主観たっぷりの情報はほとんどアテにならんということを震災以後イヤという程思い知らされたので、「オリジナル」を確認してみる気になった。
で、見る。
細けぇことはネタバレになるので書かないけど、一言で言って「原始的な宗教心の再生」を主張しているのだろう、と思った。宗教つぅと現代日本においては「カルト」と同一視されて胡散臭がられてしまっているが、ここで主張されているのは、そういう偽物ではなく本物の方。
特に漫画・アニメの世界においては、「デビルマン」において当時の宗教などもそこに含む世間全体に対する絶望がぶちまけられていて、何人かのクリエイターがその絶望に対する回答を用意しよう、とあがいていたと思うのですよ。が、あがきはあがきのままで終わり、明確な回答が与えられることはめったになかった。
しかしまどマギの場合、それへの回答が明示された。少なくともこちらではそう受け取った。
衒学的な言葉遊びをすると、この作品に登場する第三の少女である美樹さやかは、「デビルマン」と「マジンガーZ]のヒロインの名前の合成体である。が、性格そのものをこの両作のヒロインから受け継いでいるわけではない。他の二人の少女の性格を暗示するためのポインタに使われているのではないか、と想像される。
「デビルマン」の流れで行けば、残りの二人は不動明と飛鳥了。で、どっちがどっちか、って言うと、「ほむら=炎」であるから、こっちが不動明らしい。というわけで「まどか=飛鳥了」。とはいってもこっちもあっちも二人で一人、コインの表と裏みたいな存在ぐらいに考えた方がいいのかも知れない。
デビルマンの了はシステムに逆らったけど、最後の最後まで己の欲望(明への愛情)に固執したがために決定的に堕天し、ついには明自身をも失うことになる。
が、まどかはその「我」をぶん投げた。ぶん投げることにより、より高次の存在になった。
このあたりの構図は仏教説話に限りなく近い。だからツイッターでは「ほむら=地蔵菩薩」説なんてのも出た。しかしあたしゃ地蔵さんじゃないと思う。わざわざさやかというポインタまで作っているし、名前が「ほむら」なのだから、不動明王の方がより適していると言えるでしょう。となるとそれと同心異体になったと考えられるまどかは、大日如来ってことに。「まどか=円=環、つまるところ輪廻」っぽいので、そっから抜ければ如来様、って感じにもなる。
しかしこれは単なる言葉遊び。深読みすればそう考えられなくもない、って程度の話。ポイントはこういう言葉遊びが言葉遊びになっちゃうぐらい、物語の中で語られていたことが本質を捉えていた、ってところになると思う。陳腐な言葉で恥ずかしいのだが、もう一回言い直すと、「プリミティブな意味での信仰心の肯定」なんだろうなと。
まあ、人がそういうのを取り戻した所で、世界がなんか変わるわけじゃない。信じたからって、自分の敵があっさりキレイに消えてくれるわけじゃない。ヘタすりゃ死んじまうって現実も、そのままだ。
ただそれであっても不幸な終わりに立ち向かう、それが叶わない場合には立ち向かうものを信じる。それが最終的にあなたの人生を意味あるものにするんだと思うよ、ってことだろうと思う。
多分この見方は、絶対的な安全が保障されなくなり、好むと好まざるとに関わらず危険と共存しなきゃいけない震災後の世間にとって、必要な「システム」だろう。
エヴァンゲリオンで「ここにいてもいいんだ」とされてた割にどんどん希薄化し、探さないと見つからなくなってしまった「自分」すなわち視聴者当人の依代が登場しないこの作品は、そういう安全装置を二重三重にかましておかないと保つことのできない脆弱な自己しか持たない人を「癒す」(画面内でやってるのは凄惨な殺し合いなんだけど)ことを目的とした作品のように思われていた。
正直言うと、10話でほむらが時間を遡る、という流れを見たときには「あー、またオタの自我を守るための安全装置が発動したよ」と暗澹たる気持ちになった。
しかし、震災はそういう絶対安全な日常観ってのをあっさり破壊しにかかった。どんなに「俺だけ安全、俺だけいつも通り」ってj脳内ルールを作っても、地震で家が潰れたり津波が押し寄せてくればリアルに死ぬのだ。人生の意味なんか悠長に考えている余裕も与えられることなしに。
一部のコンテンツクリエイター(割と年食った人が多かったと思う)は比較的敏感にそういう変化を感じ取り、「今後漫画もアニメも、およそコンテンツと呼ばれるものは質的転換を迫られる」と言った。それに対する「自称多数派」の反論は「地震の前も後も、俺の生活は変わってない。『日常』は変わらずそこに存在する」ってもんだった。とりあえず、変わらないと信じたい人が割といる、ってことはわかった。そういう人にとって、「まどマギ」最終回は、本質的には大したことのないハプニングがもたらした日常のちょっとしたほころびを取り戻す儀式として待ち望まれていた、ってことも。
だから、その結末についてもあんまり期待はしてなかったのだ。恐らく、それまでの日常が崩れさり、その後よりテンションを低めた状態での新しい日常が始まる、って感じの話になるんじゃないかなーと思った。
しかしそれでもどっかひっかかるところがあった。仕事とは関係なしに4時まで起きてられるほど余裕のある生活はしてないので、放送はリアルでは見ず、ビデオしかけて寝てしまった。
翌朝、まずは適当なネット掲示板を見る。悪口がいっぱい書かれていた。その時なぜか「これは今までの悪い予想がひっくり返るかもしれん」と思った。ネタバレ情報を総合する限りにおいては、「魔女という原発を捨てて魔獣という火発に退行する話」のように思われた。しかしそういう主観たっぷりの情報はほとんどアテにならんということを震災以後イヤという程思い知らされたので、「オリジナル」を確認してみる気になった。
で、見る。
細けぇことはネタバレになるので書かないけど、一言で言って「原始的な宗教心の再生」を主張しているのだろう、と思った。宗教つぅと現代日本においては「カルト」と同一視されて胡散臭がられてしまっているが、ここで主張されているのは、そういう偽物ではなく本物の方。
特に漫画・アニメの世界においては、「デビルマン」において当時の宗教などもそこに含む世間全体に対する絶望がぶちまけられていて、何人かのクリエイターがその絶望に対する回答を用意しよう、とあがいていたと思うのですよ。が、あがきはあがきのままで終わり、明確な回答が与えられることはめったになかった。
しかしまどマギの場合、それへの回答が明示された。少なくともこちらではそう受け取った。
衒学的な言葉遊びをすると、この作品に登場する第三の少女である美樹さやかは、「デビルマン」と「マジンガーZ]のヒロインの名前の合成体である。が、性格そのものをこの両作のヒロインから受け継いでいるわけではない。他の二人の少女の性格を暗示するためのポインタに使われているのではないか、と想像される。
「デビルマン」の流れで行けば、残りの二人は不動明と飛鳥了。で、どっちがどっちか、って言うと、「ほむら=炎」であるから、こっちが不動明らしい。というわけで「まどか=飛鳥了」。とはいってもこっちもあっちも二人で一人、コインの表と裏みたいな存在ぐらいに考えた方がいいのかも知れない。
デビルマンの了はシステムに逆らったけど、最後の最後まで己の欲望(明への愛情)に固執したがために決定的に堕天し、ついには明自身をも失うことになる。
が、まどかはその「我」をぶん投げた。ぶん投げることにより、より高次の存在になった。
このあたりの構図は仏教説話に限りなく近い。だからツイッターでは「ほむら=地蔵菩薩」説なんてのも出た。しかしあたしゃ地蔵さんじゃないと思う。わざわざさやかというポインタまで作っているし、名前が「ほむら」なのだから、不動明王の方がより適していると言えるでしょう。となるとそれと同心異体になったと考えられるまどかは、大日如来ってことに。「まどか=円=環、つまるところ輪廻」っぽいので、そっから抜ければ如来様、って感じにもなる。
しかしこれは単なる言葉遊び。深読みすればそう考えられなくもない、って程度の話。ポイントはこういう言葉遊びが言葉遊びになっちゃうぐらい、物語の中で語られていたことが本質を捉えていた、ってところになると思う。陳腐な言葉で恥ずかしいのだが、もう一回言い直すと、「プリミティブな意味での信仰心の肯定」なんだろうなと。
まあ、人がそういうのを取り戻した所で、世界がなんか変わるわけじゃない。信じたからって、自分の敵があっさりキレイに消えてくれるわけじゃない。ヘタすりゃ死んじまうって現実も、そのままだ。
ただそれであっても不幸な終わりに立ち向かう、それが叶わない場合には立ち向かうものを信じる。それが最終的にあなたの人生を意味あるものにするんだと思うよ、ってことだろうと思う。
多分この見方は、絶対的な安全が保障されなくなり、好むと好まざるとに関わらず危険と共存しなきゃいけない震災後の世間にとって、必要な「システム」だろう。
原発話
世の中で噂になっている原発話をしてみむと思う。
なんかアタマの中が放射能に汚染されたとか思えない人は、地震からこっち「メルトダウンだ!」とか「爆発だ!」とか騒いでいてうるさい。東電や国の記者会見もしどろもどろでわけわかめな部分もあるから、「事実を隠蔽している!」って騒いでいる人もいる。
しかしよーく探してみるとある程度アテになる情報ソースってのは転がっているもんです。ワタシがアテにしているのは茨城県庁が発表しているこれ県北部の3観測点で一時間おきに出しているっていう、かなり地味系のモノ。一応国の管理下にあるもんじゃなく、一地方自治体が勝手に発表(観測から発表までの時間を考えると、国に報告して変な指示をあおいでいるとは思わえれない)しているから、政府は信じられないという人にもおすすめできます。
これ見て言えることは、16日午前に大きな山があり、その後最初の雨が降った日を除くと、数値はずーっと漸減傾向にあるってこと。
つまり放射性物質は16日にぴーっと原発から吹き出した後(多分人為的なベントが原因)、測定数値を上向きにする程は放出されてない。
北関東各地の農産物から発見された放射性物質も、恐らくこの時にやってきたもので、その後何か追加で来たって様子ではないです。少なくともこの数値を見る限り。
んでまあ、その放射性物質ですが、原発から出てくるのは大きく分けて3種かなーと。塵と瓦礫と水。
塵はベントで排出されて(しかしそれは16日が最後っぽい)、かなり広範囲に影響を与えた。が、瓦礫はほとんどが原発敷地内にとどまっている。水はこないだから問題になりはじめた。
これまでそうだったから今後もそうだ、という確証なんかないんだけど、今までのところは「広範囲に影響を与えた、あるいは与えているのは人為的に拡散されたもの(ベントによる塵と汚染された水)だけ」って流れなんじゃないかと。あ、水の中にはコンクリの亀裂から漏れちゃった、っていう数少ない例外があったけど。
なんだかんだで、原発については危機のピークは2011年3月15〜16日であり、その後事態は徐々に収束の方向に向かっていると見ていいのではと。もちろん、今後「突発的な何か」が起こる可能性は否定しない。
アタマの中を不安な情報で一杯にしていないと不安でしょうがない人達は、今でも「原子炉爆発」とかの可能性を高めに評価して騒いでる。が、放射性物質が広範囲に拡散することは、今後よほど予想外の事態にならない限りないんじゃないかと思われて。
そう考える理由は、結局のところ広範囲に影響を与えたのは「ベントで出てきた塵」であり、15〜16日より状況が安定してきている現在ではベントの必要が薄い、ということ。また東電も認めている情報では2号機・3号機の炉内の圧力が大気圧と同じになってしまっていて、ベントやっても盛大に塵を上空に吹出せないだろう、と思われる点。
瓦礫を原発敷地内にまき散らした水素爆発または水蒸気爆発では、塵を撒き散らすことができなかった。
心配性な人の懸念を現実のものにするためには、現在敷地内に転がっている瓦礫以上のシロモノを、ど派手に散らかす大爆発が必要なんじゃないかと。
しかし今んところその大爆発の元になりそうなものが見つからないよなあ。
だもんで、素人考えではあるけど、現在の状況のまま推移すれば、最悪のシナリオってのは、割れた釜から高レベルの放射性廃棄物が出てくるってことになるんだけど、それは広範囲には飛び散らず、原発周囲にじくじく、じわじわとしみ出してくるって感じになるんじゃないかと。
いやそれだけでもかなり大事ですけどね。
なんかアタマの中が放射能に汚染されたとか思えない人は、地震からこっち「メルトダウンだ!」とか「爆発だ!」とか騒いでいてうるさい。東電や国の記者会見もしどろもどろでわけわかめな部分もあるから、「事実を隠蔽している!」って騒いでいる人もいる。
しかしよーく探してみるとある程度アテになる情報ソースってのは転がっているもんです。ワタシがアテにしているのは茨城県庁が発表しているこれ県北部の3観測点で一時間おきに出しているっていう、かなり地味系のモノ。一応国の管理下にあるもんじゃなく、一地方自治体が勝手に発表(観測から発表までの時間を考えると、国に報告して変な指示をあおいでいるとは思わえれない)しているから、政府は信じられないという人にもおすすめできます。
これ見て言えることは、16日午前に大きな山があり、その後最初の雨が降った日を除くと、数値はずーっと漸減傾向にあるってこと。
つまり放射性物質は16日にぴーっと原発から吹き出した後(多分人為的なベントが原因)、測定数値を上向きにする程は放出されてない。
北関東各地の農産物から発見された放射性物質も、恐らくこの時にやってきたもので、その後何か追加で来たって様子ではないです。少なくともこの数値を見る限り。
んでまあ、その放射性物質ですが、原発から出てくるのは大きく分けて3種かなーと。塵と瓦礫と水。
塵はベントで排出されて(しかしそれは16日が最後っぽい)、かなり広範囲に影響を与えた。が、瓦礫はほとんどが原発敷地内にとどまっている。水はこないだから問題になりはじめた。
これまでそうだったから今後もそうだ、という確証なんかないんだけど、今までのところは「広範囲に影響を与えた、あるいは与えているのは人為的に拡散されたもの(ベントによる塵と汚染された水)だけ」って流れなんじゃないかと。あ、水の中にはコンクリの亀裂から漏れちゃった、っていう数少ない例外があったけど。
なんだかんだで、原発については危機のピークは2011年3月15〜16日であり、その後事態は徐々に収束の方向に向かっていると見ていいのではと。もちろん、今後「突発的な何か」が起こる可能性は否定しない。
アタマの中を不安な情報で一杯にしていないと不安でしょうがない人達は、今でも「原子炉爆発」とかの可能性を高めに評価して騒いでる。が、放射性物質が広範囲に拡散することは、今後よほど予想外の事態にならない限りないんじゃないかと思われて。
そう考える理由は、結局のところ広範囲に影響を与えたのは「ベントで出てきた塵」であり、15〜16日より状況が安定してきている現在ではベントの必要が薄い、ということ。また東電も認めている情報では2号機・3号機の炉内の圧力が大気圧と同じになってしまっていて、ベントやっても盛大に塵を上空に吹出せないだろう、と思われる点。
瓦礫を原発敷地内にまき散らした水素爆発または水蒸気爆発では、塵を撒き散らすことができなかった。
心配性な人の懸念を現実のものにするためには、現在敷地内に転がっている瓦礫以上のシロモノを、ど派手に散らかす大爆発が必要なんじゃないかと。
しかし今んところその大爆発の元になりそうなものが見つからないよなあ。
だもんで、素人考えではあるけど、現在の状況のまま推移すれば、最悪のシナリオってのは、割れた釜から高レベルの放射性廃棄物が出てくるってことになるんだけど、それは広範囲には飛び散らず、原発周囲にじくじく、じわじわとしみ出してくるって感じになるんじゃないかと。
いやそれだけでもかなり大事ですけどね。
300
タイトルの数字は、一つの目標である。何がっつーかというと「任意の電子書籍一冊当たりの平均売上部数」だ。
この部数を超えると、とりあえずうちでは黒字になる。何でもかんでも黒字になるってわけではなくて、小説とかのほとんど文字だけで構成されている電書に限る。
一部300円として、流通手数料30%を引いて210円。300部で6万円ちょい。なんでこれで黒字になるかというと、そこはそれうちの場合「著者直販」という反則技を使っているから。3日で仕上げれば校正・オーサリング込みでも日給換算で2万になるから、とりあえず食うことはできる。で、実際3日で作れるし。
漫画だと12ページ前後の短編読み切りでも、1500部売れないとダメ。漫画は製作コストが高いのだ。つか製作にかかる時間が長いので、その分だけギャラ高くしないと日給・時給換算で簡単に最低賃金を割っちゃうのね。
紙媒体の書籍は普通4000部売れたあたりからがペイラインだと言われている。それに比べれば300部ってのは1/10以下だし、一見楽にクリアできそうな数字に見える。
しかし現実に、このラインをクリアできている電子書店はない。
超えれば、うちはこんなに目先のお金のコトで苦しまずに、毎日ニコニコ笑いながらコンテンツ作れるんだけど。
なお、著者直販に限りなく近い形を取ってない場合、ペイラインは1000部ぐらいまで跳ね上がると予測される。鍵になるのは「編集者がどれだけ掛け持ちで仕事をこなせるか」ってとこ。なんにせよ人件費が一番高い。
この部数を超えると、とりあえずうちでは黒字になる。何でもかんでも黒字になるってわけではなくて、小説とかのほとんど文字だけで構成されている電書に限る。
一部300円として、流通手数料30%を引いて210円。300部で6万円ちょい。なんでこれで黒字になるかというと、そこはそれうちの場合「著者直販」という反則技を使っているから。3日で仕上げれば校正・オーサリング込みでも日給換算で2万になるから、とりあえず食うことはできる。で、実際3日で作れるし。
漫画だと12ページ前後の短編読み切りでも、1500部売れないとダメ。漫画は製作コストが高いのだ。つか製作にかかる時間が長いので、その分だけギャラ高くしないと日給・時給換算で簡単に最低賃金を割っちゃうのね。
紙媒体の書籍は普通4000部売れたあたりからがペイラインだと言われている。それに比べれば300部ってのは1/10以下だし、一見楽にクリアできそうな数字に見える。
しかし現実に、このラインをクリアできている電子書店はない。
超えれば、うちはこんなに目先のお金のコトで苦しまずに、毎日ニコニコ笑いながらコンテンツ作れるんだけど。
なお、著者直販に限りなく近い形を取ってない場合、ペイラインは1000部ぐらいまで跳ね上がると予測される。鍵になるのは「編集者がどれだけ掛け持ちで仕事をこなせるか」ってとこ。なんにせよ人件費が一番高い。
変わらなければならないだろう
震災後の流れに便乗する形でこんなサービスを始めた。 http://www.jcninc.co.jp/pc/dojin.html
でも申し込みって全然来ないね。今更のように同人作家さんたちの思考が保守的であるということを思い知らされた。
基本的に同人作家さんって、銭金が目的じゃなくて、コミケなどのイベントというお祭りに自分も参加している、って経験を得るために作品作ってるわけで。だから「イベント中止になったら次のに回すからいいよ」ってなるみたい。
その後を追うようにして「紙とインクがない!」ってニュースが来ても、状況はあまり変わらない。ツイッターとかで「知り合いの同人用印刷所が『紙もインクもあるから大丈夫』つってた」って感じの発言を盛んにRTしてた。
うちでは別ルートで「紙もインクもねえ」って話を聞いてる。んでもそれって結局印刷所によって結構状況違ってくるんだろうから、一部の例を挙げて「全体がどう」って断言することもできないだろう。局部的に不自由があるが全体は大丈夫なのか、全体的には欠乏状態だけど、あるところにはあるのか、もう少し状況を見ないとわからない。
が、確実にひとつだけ言えることがある。それは「少なくとも今後数年、コミケは今までと同じ形では開催できない」ってこと。
去年までは予想もしてなかった大地震が起き、それにひき続いて大津波が来た。だから海岸沿いにある施設では、今後同様の災害が発生するということを前提にして、イベントの企画等を行わなければならなくなる。
東京湾岸では津波の被害はなかったが、液状化現象が発生した。そういうところに、十数万の人間を集めてイベントを開くことは可能か。可能だったとしても、「これまでと全く同じ」というわけにはいかないだろう。発生しうる地震・津波・液状化現象への対応を迫られることになる。
大規模な法人組織が行うイベントであれば、そうした対策を行うことも可能だろう。しかし、基本的にボランティアだけで構成される組織にそれが可能か。
たとえそれらがクリアされたとしても、真夏の電力消費ピーク時に、エアコンがんがんかけてイベントを行えるのか。エアコンは使わなければいい、という人もいるだろう。だが、その場合熱中症などで倒れる人が続出するだろう。ヘタをすると死人が出る。
結論から言って、これまでと全く同じ形で大規模同人誌即売会を行うのはもう不可能となったのだ。
これは震災がもたらした時代の変化と呼ばれるものの一部であり、震災が起こってしまった国に住むものとしては、現実として受け入れて、順応しなければならないことだ。
商業出版も大ダメージを受け、大きく変化しなければならない状態になっている。同人出版だけ完全に以前と同じ、ということはあり得ない。
こうした新しい時代の同人活動が、電子書籍の方向に向かうかどうかはわからない。だがそれはひとつのヒントではある。
でも申し込みって全然来ないね。今更のように同人作家さんたちの思考が保守的であるということを思い知らされた。
基本的に同人作家さんって、銭金が目的じゃなくて、コミケなどのイベントというお祭りに自分も参加している、って経験を得るために作品作ってるわけで。だから「イベント中止になったら次のに回すからいいよ」ってなるみたい。
その後を追うようにして「紙とインクがない!」ってニュースが来ても、状況はあまり変わらない。ツイッターとかで「知り合いの同人用印刷所が『紙もインクもあるから大丈夫』つってた」って感じの発言を盛んにRTしてた。
うちでは別ルートで「紙もインクもねえ」って話を聞いてる。んでもそれって結局印刷所によって結構状況違ってくるんだろうから、一部の例を挙げて「全体がどう」って断言することもできないだろう。局部的に不自由があるが全体は大丈夫なのか、全体的には欠乏状態だけど、あるところにはあるのか、もう少し状況を見ないとわからない。
が、確実にひとつだけ言えることがある。それは「少なくとも今後数年、コミケは今までと同じ形では開催できない」ってこと。
去年までは予想もしてなかった大地震が起き、それにひき続いて大津波が来た。だから海岸沿いにある施設では、今後同様の災害が発生するということを前提にして、イベントの企画等を行わなければならなくなる。
東京湾岸では津波の被害はなかったが、液状化現象が発生した。そういうところに、十数万の人間を集めてイベントを開くことは可能か。可能だったとしても、「これまでと全く同じ」というわけにはいかないだろう。発生しうる地震・津波・液状化現象への対応を迫られることになる。
大規模な法人組織が行うイベントであれば、そうした対策を行うことも可能だろう。しかし、基本的にボランティアだけで構成される組織にそれが可能か。
たとえそれらがクリアされたとしても、真夏の電力消費ピーク時に、エアコンがんがんかけてイベントを行えるのか。エアコンは使わなければいい、という人もいるだろう。だが、その場合熱中症などで倒れる人が続出するだろう。ヘタをすると死人が出る。
結論から言って、これまでと全く同じ形で大規模同人誌即売会を行うのはもう不可能となったのだ。
これは震災がもたらした時代の変化と呼ばれるものの一部であり、震災が起こってしまった国に住むものとしては、現実として受け入れて、順応しなければならないことだ。
商業出版も大ダメージを受け、大きく変化しなければならない状態になっている。同人出版だけ完全に以前と同じ、ということはあり得ない。
こうした新しい時代の同人活動が、電子書籍の方向に向かうかどうかはわからない。だがそれはひとつのヒントではある。
Googleとの闘争
去年の秋からGoogleと戦っている。
具体的に何やってんのかって言うと、Android Marketで電子書籍売ろうとしてたのね。ところがAndroid Marketは表面的に「無審査」とか言ってるけどえっちぃ内容禁止で、そういうのを売っているのを見つけたら(密告制度あり)、販売者のアカウントを停止しちゃうんですよ。
で、これはできるだけ多くの人に伝えなくっちゃ、ってんでこんな記事を書いた。
これのせいで割と「一筋縄では行かないぞー」ってことは広まったが、だからと言って停止されたこっちのアカウントが回復されるわけじゃない。
Android Marketでコンテンツやアプリを販売するためには、クレジットカードを使って販売アカウントを取得しなきゃならない。が、いっぺん停止されたアカウントで使っているクレカでは、別アカウントを登録することはできない。ついでに言うと、アカウント回復処理をやるのはアメリカ本社であり、日本から回復の申請を行ってもまともに処理はされない。多分書類不備ってことで落とされるんだろうが、アメリカの納税証明書なんて持ってねーぞ。税そのものも払った覚えないし。
そんなわけなので、アカウントを回復しようと思ったら別のクレカを用意するしかない。だから作りましたよ。楽天で。
カードが届いてから喜んでさっそく再登録し、「裸の絵がないんだから大丈夫だろ」と、うちで作った一般書籍であるところの「らんじぇりー大百科」って本を電子化して売り出す。
しかし翌日見てみたら、販売アカウントが停止されてた。裸がないけど下着だらけだったからNGとされたらしい。
それからまた一ヶ月。信金の営業さんにキャッシング機能を追加させてくれろと言われたので、事務所の法人用クレカを新しくする。偶然とはいえ新しいカードが手に入ったので、さっそくこれでアカウントを作りなおしてみるが……ダメだよ? どして?
Googleでは、何かトラブルがあっても「プライバシー保護」を名目に具体的に何が起こったのかは教えてくれない。だから正確なところはわからないのだが、可能性としては「法人名義のカード(ちなみにVISA)は全部ダメ」だってことが考えられる。
要はアメリカだとそこらで拾ったカードを使ってアカウント作るバカがいるから、そうならないようにGoogleが独自にチェックするルーチンを仕込んだ(処理にやたら時間がかかる)んだろうけど、日本だとカード盗まれたらみんな即日利用停止の手続き取るからこれがトラブルにつながることはほぼない。つまるところ、Google基準で言うところの「身元が確認できないカード」の持ち主に対してイヤガラセをするプログラムにしかなってない。
そういうあたりをまとめてクレームつけたいんだけど……Google日本法人の電話番号って、Googleで検索かけても出てこないんだよね(笑。
具体的に何やってんのかって言うと、Android Marketで電子書籍売ろうとしてたのね。ところがAndroid Marketは表面的に「無審査」とか言ってるけどえっちぃ内容禁止で、そういうのを売っているのを見つけたら(密告制度あり)、販売者のアカウントを停止しちゃうんですよ。
で、これはできるだけ多くの人に伝えなくっちゃ、ってんでこんな記事を書いた。
これのせいで割と「一筋縄では行かないぞー」ってことは広まったが、だからと言って停止されたこっちのアカウントが回復されるわけじゃない。
Android Marketでコンテンツやアプリを販売するためには、クレジットカードを使って販売アカウントを取得しなきゃならない。が、いっぺん停止されたアカウントで使っているクレカでは、別アカウントを登録することはできない。ついでに言うと、アカウント回復処理をやるのはアメリカ本社であり、日本から回復の申請を行ってもまともに処理はされない。多分書類不備ってことで落とされるんだろうが、アメリカの納税証明書なんて持ってねーぞ。税そのものも払った覚えないし。
そんなわけなので、アカウントを回復しようと思ったら別のクレカを用意するしかない。だから作りましたよ。楽天で。
カードが届いてから喜んでさっそく再登録し、「裸の絵がないんだから大丈夫だろ」と、うちで作った一般書籍であるところの「らんじぇりー大百科」って本を電子化して売り出す。
しかし翌日見てみたら、販売アカウントが停止されてた。裸がないけど下着だらけだったからNGとされたらしい。
それからまた一ヶ月。信金の営業さんにキャッシング機能を追加させてくれろと言われたので、事務所の法人用クレカを新しくする。偶然とはいえ新しいカードが手に入ったので、さっそくこれでアカウントを作りなおしてみるが……ダメだよ? どして?
Googleでは、何かトラブルがあっても「プライバシー保護」を名目に具体的に何が起こったのかは教えてくれない。だから正確なところはわからないのだが、可能性としては「法人名義のカード(ちなみにVISA)は全部ダメ」だってことが考えられる。
要はアメリカだとそこらで拾ったカードを使ってアカウント作るバカがいるから、そうならないようにGoogleが独自にチェックするルーチンを仕込んだ(処理にやたら時間がかかる)んだろうけど、日本だとカード盗まれたらみんな即日利用停止の手続き取るからこれがトラブルにつながることはほぼない。つまるところ、Google基準で言うところの「身元が確認できないカード」の持ち主に対してイヤガラセをするプログラムにしかなってない。
そういうあたりをまとめてクレームつけたいんだけど……Google日本法人の電話番号って、Googleで検索かけても出てこないんだよね(笑。





